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東京地方裁判所八王子支部 平成6年(わ)994号 判決

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中二四〇日を刑に算入する。

この裁判確定の日から五年間刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、父親である甲野一郎他一名と共に現に住居に使用している同人方居宅を焼燬しようと企て、平成六年五月一七日午後一〇時ころ、東京都稲城市平尾〈番地略〉の同人方において、一階居間の絨毯、廊下、台所及び洗面所に灯油を散布した上、所携のライターで右絨毯に点火して火を放ち、よって、現に人の住居に使用する右居宅一棟(木造スレート葺二階建、延床面積一一二・三六平方メートル)を全焼させて焼燬したものである。

なお、被告人は、本件犯行当時、心神耗弱の状態にあったものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

以下、刑法とは、平成七年法律第九一号の附則二条一項本文により、同法による改正前の刑法をいう。

一  罰 条 刑法一〇八条

一  刑種の選択 有期懲役刑を選択

一  心神耗弱による減軽 刑法三九条二項、六八条三号

一  未決勾留日数算入 刑法二一条

一  刑の執行猶予 刑法二五条一項

一  訴訟費用の不負担 刑事訴訟法一八一条一項ただし書

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人は、犯行当時、被告人は、ジル・ド・ラ・トレット症候群に罹患しており、その影響で心神喪失ないし心神耗弱の状態にあった旨主張するので、以下検討する。

二  関係各証拠によると、以下の事実を認定することができる。

1  被告人の病歴等

(一) 被告人は、父、母親、姉の四人家庭の第二子(長男)として出生したもので、幼少時から、高熱を出し、痙攣を起こし、病弱であったところ、小学校一、二年生のころから、瞬きや首振りなどのいわゆるチック様の行為が出だし、同三年生(八歳)ころから、体罰が契機で奇声を発したり首や手を突然動かす等のチック症状が頻発するようになり、その後、飛び跳ねたり頭を壁に強くぶつける等の自傷行為や拒食、音声チックの症状も見られるようになった。

(二) 被告人は、昭和五六年九月ころから、聖マリアンナ医科大学付属病院等各地の医療施設でチック症あるいはヒステリーからくる「ジル・ド・ラ・トレット症候群(「以下「トレット症候群」という。)」などと診断され、通院や入院(三回)によるさまざまな治療を受け続け、有効とされる抗ドーパミン系のハロペリドールを主とする薬物療法も再三試みられてきたが、顕著な症状の改善は見られず、次第に学業成績は振るわなくなり、学校を休みがちになるなど通常の学校生活になじめなくなり、中学も欠席や休学が多く、高校も不登校となり、フリースクールに通ったり、通信制高校に入学し直すなどしているが、成績も振るわなかった。

この間、被告人の右症状は一進一退を繰返していたが、昭和五九年ころ、被告人の生活の面倒をほとんど見ていた母親が多発性筋炎で長期入院したことから症状は悪化し、自分の意志に反して自分の頭を壁に打ち付けたり、物を壊したり、無意識のうちに「馬鹿。死ね。」等の汚言を発する等の行為を頻繁に行うようになり、さらに、右症状で大事にしている物等を壊してしまったことなどに興奮、逆上して、衝動的に周囲が手がつけられない程激しく暴れ、物を壊してしまうこともあった。

平成五年になり、母親らに対する家庭内暴力や自傷行為が激しくなり、また、多額の小遣いを無心することも多くなった。

(三) そのようなことから両親は、平成五年六月、多摩中央病院で被告人を受診させたが、同病院の神田医師は、当初被告人の右症状はトレット症候群によるものではなく、境界例であり、母親が被告人を甘やかしすぎたことが主な原因であると診断し、当時被告人が相当な興奮状態にあったことから両親の同意を得て入院させることとしたが、これを拒絶する被告人が激しく抵抗して暴れ、力尽くで入院させたものの、暴れ方が激しく、同病院での看護は困難であったので、精神科専門病院である長谷川病院に転院させた。

このような経緯から、被告人は、神田医師や長谷川病院を非常に嫌い、同病院を退院後も、同病院への通院や同病院で処方された薬の服用を嫌がり、また、神田医師が、自分を同病院に再び入院させようとしているのではないかと疑っていた。

(四) 被告人は、平成六年三月、前記通信制高校を卒業したが、そのころから生活の乱れが顕著となり昼夜逆転の生活を送り、母親に対する家庭内暴力も激しくなったことなどから、平成六年五月七日、被告人の看護に心身共疲労した母親は、神田医師の指示で多摩中央病院に入院することになったが、被告人を母親から分離するため、被告人との面会や電話は一切禁止され、被告人が電話で神田医師に母親に会わせてくれるよう求めたが、断られた上、文句を言うと長谷川病院に入院させる趣旨の話をされた。

そのようなことから、被告人は、同日母親が一旦病院から戻って来た際も、長谷川病院の者が来ることを恐れ、家に戸締まりをして包丁を持って騒いでいる状態であった。

その後、被告人は、自宅で父親と二人で暮らすことになったが、母親と連絡が取れないことに苛立つとともに、母親と違って被告人の言うことを無条件で受け入れない父親に反発し、父親の作った食事を食べずに、自分でピザ等の出前を取って食べ、また、当時診てもらっていた榎本クリニックへも通院せず、指示された薬も殆ど服用せず、引き続き昼夜が逆転した生活を送っていた。

2  犯行に至る経緯等

(一) 同月一六日午前九時ころ、被告人は、チックの症状が出てテレビのリモコンやコードレス電話機を壊してしまったことから興奮してその親機や食器棚をも壊してしまい、もう一台の電話で勤務先の父親にリモコンや電話機を壊した旨話したが、午後一一時ころ、要領を得ないまま父親が帰宅するや、被告人は、興奮状態ですぐ電話機を買って来いと怒鳴りつけ、こんな深夜に売っていないとか今度の休みに買いに行こうといって宥めても収まらず、掴みかかる等してもみ合う有様で、結局被告人は泣きながら自室に戻った。

(二) 翌一七日、被告人は、今日は買って来てくれるものと強く期待していたが、午後七時頃帰宅した父親が電話機を買ってこなかったため、吸いかけの煙草を投げつけ、苛立った様子で電話を買って来いと要求し、父親は、宥めても耳をかさないため、一旦外出したものの、午後七時四〇分ころ、買わないで帰宅したところ、裏切られたと思った被告人は、テーブルをひっくり返したりテレビを壊す等して激しく暴れ出してすぐ買って来いと泣きわめき、挙げ句には石油ストーブのカートリッジを持ち出し、「電話機を買ってこないと家に火をつけるぞ。」等と脅迫し、その興奮状態は収まりそうになかった。

そこで、父親は、被告人の気持ちを落ち着かせようと、「わかった。」等と電話を買いに行く素振りをして、車で一〇分ほどの別宅に行き、入院中の母親と電話で相談する等した。

(三) 同日午後八時五〇分ころ、被告人は、父親が今度は電話機を買ってきてくれるのではないかと期待してじりじりして待ったが、父親はいつになっても戻らず、何度か別宅に電話を掛けるうちにようやく父親が電話に出たことから、「何で嘘をついた。何ですぐ帰ってこない。」等と怒鳴った。

父親は、母親と電話で相談していたこと等を被告人に話したが、被告人は、それは嘘で、父親が神田医師と話していたのではないかと疑い、「一〇分以内に帰って来い。帰って来ないと家は丸焼けだ。」等と父親を再び脅迫した。

そのため、父親は、「すぐに帰る。」と答えて別宅を出て、自宅の外まで帰ったが、しばらく近くの道路から自宅の内部の様子を窺っていた。

(四) 被告人は、九時四〇分ころまで待ったが約束に反して父親は戻らず、別宅に何度電話しても誰も出ないことから、自宅に放火することを決意するに至った。

3  犯行及びその後の状況

被告人は、勝手口の外から持ってきたポリタンクの灯油を居間等に撒いたものの、量が少なかったので、さらに物置から灯油罐を持ってきて居間や台所等に撒いた。そして、半ズボンをジーパンに履き替え、手持ちの現金を持った上で、居間の絨毯等数か所に火をつけ、火が燃え上がったのを見てから逃げた。

その後、バス、電車、タクシー等を乗継ぎ、横浜の港の見える丘公園まで行ったが、そこで警察官から職務質問を受け、自宅への放火を自供した。

なお、被告人は、犯行前、長谷川病院の者が父の連絡で家に来たら困ると思い家に鍵をかけ雨戸を閉めるなどし、犯行後は、外に同病院関係者がいるのではないかと窺い、いた場合に備え、包丁を持ち出している。

三  鑑定

1  工藤鑑定(杏林大学医師工藤行夫作成の鑑定書及び第七回公判調書中の同人の供述部分)

〈1〉 被告人は、トレット症候群の病態にあるが、それが直接的に本件犯行にかかわったとは考えられない。

〈2〉 被告人は、依存、攻撃を主徴とし自主性、社会性に乏しい性格障害を有し、これがトレット症候群と相互に関連し、助長し合っている。

〈3〉 被告人は、犯行当時、全面的に依存していた母親との分離によって不安な状態にあった上、電話機の購入の要求に対して父親が曖昧な態度をとってなかなか応じないこと等から、被告人は次第に電話機のことばかり考えるようになり、最終的に父親から裏切られたと判断すると同時に父親が被告人を入院させる相談をしていたものと邪推して、放火の実行をも辞さない逼迫した状況に追い込まれ、本件犯行に及んだと考えられる。

〈4〉 被告人は、自己の行動についての判断能力や行動制御能力がかなり劣っていたものの、犯行時についての意識、記憶がはっきりしていること、犯行に至る動機も了解可能であること、比較的複雑な行動が概ね秩序だってなされていること、逃走準備等かなり合目的性のある行動もとられていること等から、被告人には、本件犯行時、ほぼ完全に責任能力があったものと認められる。

2  逸見鑑定(鑑定人逸見武光作成の鑑定書及び同人の当公判廷における供述)

〈1〉 被告人は、トレット症候群の患者であるが、本件犯行は、直接右症候群に起因するものではない。

〈2〉 トレット症候群は、本質的に器質的障害であり、被告人がそのかなり重篤な患者であることからすれば、本人に人格障害があることを強調する必要はない。

〈3〉 本件犯行の動機が了解できることから、病的体験の支配下にあったものではなく、犯行当時の状況について健忘がみられないことから、解離状態(ヒステリー状態)にあったとは考えられないが、母親との共生関係を絶たれる不安及び精神病院への強制入院の恐怖を回避しようとしてパニック障害を起こし、衝動的に遂行したものである。

〈4〉 被告人は、犯行当時、判断能力はほぼ維持していたが、自己の行動を制御する力がなくなった状態にあり、その程度は、普通の人に比べれば、相当なものであり、著しく減退したと言わざるを得ないが、強度の精神分裂病の場合と同じ意味でのゼロであったとは言えない。

四  検討

1  認定

前記認定事実に前掲証拠、特に、逸見鑑定、工藤鑑定、証人神田良樹の第四回公判調書中の供述部分(以下「神田証言」という。)を総合すれば、次のとおり認められる。

(一) 被告人の前記のチック等の症状は、肢体、頚部等の不随意運動を行う運動性チックと無意味な発声を繰り返す音声チックを主症状として汚言症や強迫症状等も呈する比較的稀な病態であるトレット症候群であり、しかも、被告人のそれは典型的かつ重篤なものである。トレット症候群それ自体は精神病的疾患ではなく、それが直ちに責任能力に影響を及ぼすものではない。

しかし、被告人は、幼少時から病弱であった上、その後重篤なトレット症候群に罹患したため、学習障害が生じ、また、母子関係が濃密となったばかりでなく、両親に葛藤があり、被告人の養育は殆ど母親任せであり、母親も自らが病弱な上、愛情豊かで被告人を全面的に庇護する余り過保護となったことなどから、母親に全面的に依存し、性格(情緒)面が、それを性格障害(工藤鑑定)あるいはその境界例(神田証言)と見るのか、それを強調する必要はないのか(逸見鑑定)はともかく、著しく未発達の状態となっている。

これらのため、被告人の家庭内暴力にも明らかな強迫的傾向(観念や行動が無意味あるいは不合理であるとみずから認識しながら、十分に統制し難いこと)も認められ、また、その年齢に比し、自分の行動を非常に制御しにくく、非常に幼い面や(工藤鑑定)、また現実吟味力も弱いこと(逸見鑑定)が認められる。

(二) 前記二1、2の認定事実のとおり、被告人は、自己の行為が原因で母親との分離・隔絶を強制され、また長谷川病院に入院させられるのではないかとの不安感を基底に、その後の電話機購入要求を巡り、他にもう一セットの電話機が必要であることに固執し、二日間にわたり、父親に常軌を逸した言動を繰り返し、かつエスカレートさせ、この間、自ら買いに行くこともできない状態にあったことが窺われるほか、結局、父親が要求に応じないことに裏切られたとの思いと邪推による長谷川病院入院への恐怖感から極度の不安、興奮状態に陥り、本件犯行に及んだことが明らかである。

(三) しかも、被告人は、母親入院後は当時通院していた榎本クリニックに通院せず、ハロペリドールを主とする薬の服用も殆どしておらず、そのためトレット症候群自体の症状だけでなく、関連諸症状も悪化した可能性がある。このことは、前記二、2の被告人の言動や、長年服用していた薬を急に止めることによるリバウンド現象の可能性があること(神田証言)、あるいはこの症状を抑えるほとんど唯一の薬剤が処方されていた筈であり、これを服用しないと、まずは発作が始まり、それが出れば精神的動揺が顕著になり、それに伴う異常行動が顕著になること(逸見鑑定)が指摘されていることからも否定できないところである。

工藤鑑定は、長年の治療にもかかわらず症状に顕著な改善が認められなかったことから、ハロペリドールは余り有効ではなかった旨指摘しているが、同鑑定自体、その薬には鎮静効果があり、チックとは別に、ある程度行動を抑える意味合いはあったことを認めているし、被告人は逮捕、勾留中ハロペリドール等の投薬を受け、その処方に従い服用を続けている結果、両親が驚く程状態が良くなっていることが窺われることなどからみて、薬の服用を殆どしていなかったことによる悪影響の可能性を否定できないことは明らかである。

(四) 被告人の本件犯行はトレット症候群によるチック反応や、精神病的体験に基づくものでないことは、工藤鑑定及び逸見鑑定も一致して認めるところである(前記三1〈1〉及び三2〈1〉)。また、工藤鑑定が前記三1〈4〉で指摘し、また検察官も同様の指摘をするとおり、被告人の本件犯行ないしその前後の行動や記憶等に不自然な点がみられないことも否定できないところである。更に、逸見鑑定によっても、是非善悪の判断能力自体に著しい減弱があったことは窺われない。これらのことに、父親に放火を告げて後、父親がその言に反し帰宅しなかったのに、本件犯行の決断、実行までに四〇分位の時間を要していることなどをも考慮すると、被告人が本件犯行当時心神喪失状態になかったことは明らかである。更に、逸見鑑定に後記の疑問が残ることから、前記(一)ないし(三)の状況を考慮しても、心神耗弱状態にあったとまで断定することはできない。

しかしながら、被告人の本件犯行はこれまでの家庭内暴力の域を明らかに超えていることに加え、前述のように、被告人は、もともと性格(情緒)面が著しく未発達で自己の行動を制御する能力が非常に弱く、また強迫的傾向がある上、当時、必要な服薬等を殆どしていなかったこと等を考慮すると、自己の行為が原因で母親との分離を強制され、また長谷川病院に入院させられるのではないかとの不安感を基底に、その後の電話機購入要求を巡り、父親に対する裏切られたとの思いと邪推による長谷川病院入院への恐怖感から、極度の不安、興奮状態に陥り、是非善悪の判断に従って行動する能力が著しく減弱する状態で本件犯行に及んだのではないかとの合理的疑いを否定することはできない。

2  各鑑定等について

(一) 逸見鑑定は、前記三2〈4〉のとおりであり、法的な判断は法律家が行うべきであるという立場をとることなどから、その趣旨は、ややわかりにくい面があるものの、弁護人の主張するように心神喪失に該当するとするものではなく、前記三2〈4〉のような精神医学者としての医学的な判断を加えているものであって、これを法的に判断すれば、少なくとも心神耗弱には該当することを示唆するものであると解すべきである。しかしながら、本件犯行がパニック障害の契機となったとする母親の入院の直後に行われていればともかく、それから一〇日間もの時間を経過しており、その間長谷川病院には入りたくないという願望ないし恐怖があったとしても、本件直前にパニック障害に陥ったと認定するだけの証拠はなく、かえってパニック障害自体は数分で我に返るのが普通であるというのに、被告人は放火を口にしてから実行まで約四〇分間も躊躇していたことが窺われるから、パニック障害による犯行であるとまでは断ずることができない。その他、同鑑定には分かりにくい点があり、逸見鑑定をそのまま採用することには躊躇を感ぜざるをえない。

(二) 工藤鑑定は、前記三1のとおり、被告人の責任能力に消長を来さないとするが、被告人の症状に意識障害は伴わないから、記憶等が保持されていることは不自然ではない上、工藤鑑定は、鑑定留置の五日間ハロペリドールの投薬は中止しているとはいえ、被告人が逮捕、勾留されて投薬を受け、それなりに落ち着いた、神田証言によれば静的な状態を観察しており、直接には興奮状態を診ていない。また、工藤鑑定自体、その程度が心神耗弱の程度に当たるか否かはともかく、被告人は行動が非常に制御しにくいことやその行動に明らかな強迫的傾向がみられることを指摘していること、更に、このような重症例自体乏しいこと等を考慮すると、工藤鑑定をもってしても、前記1の疑いを払拭することはできない。

(三) なお、神田証言は、自己の診察体験や両親からの情報を踏まえ、被告人は犯行時精神運動性興奮状態にあり、自己の行動を制御できる状態ではなかったとするが、その理由とする被告人は大脳皮質がもともと弱いとする根拠が明らかでない上、その見解は推測の域を出ず、逸見、工藤鑑定に照らすと、そのままでは採用しがたい。

3  結論

以上のとおりであるから、被告人は本件犯行当時心神耗弱の状態にあったとの合理的疑いを入れざるをえない(心神耗弱でないことは検察官の立証責任に属することであるから、その合理的疑いがある以上、認定の結果として心神耗弱の状態にあったとすることは当然許される。)。弁護人の主張は右の限度で理由がある。

(量刑の事情)

被告人は、火をつける等と脅迫しても父親が自分の要求に従わないことから、自宅に放火したものであって、前記の事情を考慮しても動機は短絡的かつ自己中心的であると言わざるを得ない。

また、不足分の灯油を物置から探す等して大量の灯油を撒き、着替え等逃亡の準備を整えた上で火をつけ、火が燃えあがったのを見てから逃げている等犯行態様は悪質である。

そして、自宅とはいえ、これを全焼させている上、本件犯行現場は住宅地であり、隣家に延焼する危険も十分にあったこと、犯行当時、被告人の症状が悪化していたのは、被告人が処方された薬をきちんと服用していなかったことも影響していること等を考えると、被告人の刑事責任は非常に重大であると言わなければならない。

しかしながら、前記のとおり被告人が犯行当時心神耗弱状態にあった他、被告人の性格及び本件犯行に至る経緯等について、被告人の右症状が極めて強く影響していることは明らかであること、特に、被告人の右症状が難病であるため、親の熱意にもかかわらず、これまで必ずしも一貫した治療が施されず、周囲の対応にも適切さを欠く点があったことは否定できないこと、被告人は、今回の事件により長期間にわたって勾留されていること、公判廷において深く反省の態度を示していること、本件犯行の際に近隣に居住していた住民は、被告人らに比較的同情的であり、特に被告人の厳罰は望んでいないと考えられること等被告人に有利な情状もあることから、右情状を十分に考慮した上、主文記載の刑を定め、刑の執行を猶予することとした。

(裁判長裁判官 原田國男 裁判官 田中亮一 裁判官 小田島靖人)

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